落とす死

忘備録

「エピローグは仮面の向こうに」について

少女☆歌劇レヴュースタァライトRE:LIVEのイベント"エピローグは仮面の向こうに"についてのお気持ち表明。



天賦の才を持ちながらその醜い容姿のせいで孤独に生きてきた男が愛故に凄惨な事件を巻き起こしていく物語を孤独を抱えて生きてきた大場ななにぶつけて来るのがまず100ヤバポイントだし(ヤバポイントとは?)、そんな大場自身がファントムを演じた上にクリスティーヌ役として孤独から救ってくれた星見純那を何の迷いもなく指名する所で38518735ヤバポイント加算だし、哀れみではなく舞台に立つ者としての矜持を持って真っ直ぐにファントムと向き合い愛のままにわがままに奪い去ることは彼が愛した歌声を汚すのだと気付かせるオチにした辺りは舞台少女として大場ななと星見純那の二人で出した解として一億点なのが6494537ヤバポイントだし、それとは別でファントムに感情移入しすぎた結果誰にも文句を言わせない形でファントムとクリスティーヌが結ばれる結末も書いてそれを"私の純那ちゃん"だけに読ませ舞台に造詣の深い彼女から"この描き方ならファントムとクリスティーヌが結ばれても違和感が無い""良くここまでファントムの孤独と舞台愛を表現できたわね"という涙ながらの賛辞を得るくだりは愛の告白でしか無くてヤバポイント9168646498649加算だしもうヤバポイントが貯まりすぎてお皿67946735653枚くらい交換出来るんじゃない?みたいな勢い(ヤマザキ春の女女祭り)

作品に敬意を払い改変しすぎないようにしつつ、大場ななと星見純那の"秘密を共有する二人"という関係性も描くスタリラくんの手腕、すごない?神楽ひかりにままひるとか言わせてるクソ雑解釈クソ野郎と同じとは思えないわ。お見それしました


と、ここまでは大場星見のヲタクとしての感想。

大場から見た星見が"独りぼっちだった自分を見つけて手を差し伸べてくれた人・救世主"だということは今回のイベントに限らず本編や漫画や舞台で繰り返し描かれているけど、翻って星見はどうなの?ということも考えておきたいので、それについても少し壁に向かって喋っておく。

確かに大場の視野の広さや優しさに助けられている所はあるけど、それは大場が得た"救済"程の重さは無いのでは?両方を天秤に乗せたら釣り合わないよね?という疑問が胸の奥底にこびり付き続けている。

むしろアニメ2話で焦燥感のせいで視野狭窄に陥りドツボにハマっていたところで"一度で終わりなんかじゃない、私達は何度でも舞台に立てる"という言葉でもって肩の荷を降ろしてくれた愛城華恋の方が星見純那という舞台少女にとっての重要人物なのでは?

愛城とのレヴューが無ければ焦りで眼鏡が曇ったままで大場ななを"見つけてあげる"ことも出来なかったかもしれないですし。

日常会話を見ていても"愛城華恋だけは割と雑に扱う星見純那"という、ある程度信頼しているからこそなのかなと思われる言動が見受けられるし、何より星見が下の名前で呼んでいるのは大場と、愛城の、二人、なんですよ

馬鹿故の猪突猛進さや感覚でやって行くスタイルに呆れつつも自分とは正反対の生き方と煌めきに何らかのデカい感情を抱くもしくは抱いてる可能性、あると思うんですよ

そんな愛城をクリスティーヌの恋人であるラウル役に据えた大場なな、というかスタリラくん、自分の罪深さ分かっとんのか?

これが愛城神楽露崎なら2018年はポリアモリー!これね!でお手軽解決できるけど大場ななは壮絶な独占欲マシマシ同担拒否オンナだからそうは行かないんですよ

この先、愛城星見の関係性について考える度に脳内のイマジナリー大場ななが星々の絆を歌いながらシャンデリアを落として来る恐怖に怯えないといけないんですよ

でもお人好し生真面目秀才と向こう見ず馬鹿の組み合わせが好きだからやって行くんですけど愚かで罪深いから